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2007.12.08

引っ越し手伝いの意義

 前回予告メッセージの「引っ越し」で、内容を推し測れた方が少なくないと思いますが、こちらの方が結婚式の司会よりももっと誰にでも、人生の節目に他人が関わることができる場面です。
 かつて、引っ越しと言えば、親類縁者などが集まり、みんなが力を合わせて行うものでした。転勤に伴うものであれば運送業者が入ったのかも知れませんが、一般にはそうした「人生の節目」に手伝える人が手伝うのは言わば当たり前のこと、手伝ってもらう当人にとっても感謝はしつつお互い様であり、親類や親しい友人が引っ越すのを手伝うのに「せっかくの休日を割いて」という思いではなく、「そういうもの」という共通認識がありました。
 別居や離婚など家族関係の組み替えに伴う場合などはもちろん別ですが、引っ越しは少なからぬ場合、家が大きくなったり新しくなったりして、何より具体的に家族が発展して行くハレの日です。その晴れがましい一ページに立ち会う、そこで実際の力になれる経験は、居合わせ手伝う側にとって貴重な幸せの共有体験であり、貢献感に満ちた喜びではないでしょうか。しかも、前回の司会とは違って、人前で喋るのが苦手な人も中高生も味わうことができます。
 ところが、これまた「せっかくの休みに悪いから」という理由で、親類縁者に手伝いを依頼することは急速に減ったのでしょう。大は象から小は蟻まで、これだけいろいろなマークの引っ越し業者がCMを流している訳ですから。
 無論、自らの引っ越しの際に頼める人がおらずに困った体験から個人向け引越請負業を「発明」したアートコーポレーションの創業者はすばらしいし、それで助かっている人が大勢います。今のようにモノに溢れていなかったので、以前は荷物が少なかったこともありましょう。
 ただ、「気楽に頼める人が(近くに)いない」のは、気楽に頼みを引き受けたりものを頼んだりしてきたのかという、どちらが先かの問題である場合が多く、目先の気楽を求めてきた結果が生んだ状況であると思われます。昔よりも交通や連絡の手段ははるかに発達し、休日が増えたことでその価値はずっと小さくなっているのにもかかわらず、お互い他人の生活に踏み込まないことを優先してサービス対価を支払うことで人生の駒を進め、なおさら他者をあてにしにくくなってしまいました。葬式や子育てなどにも同様のことが言えますが、他人の力を借りるのに、ある種の慣れがあればどうということがなくても、慣れないと余計エネルギーを要すものでしょう。
 かく言う私は物心がついてから三度、結婚を機とした親からの独立時以降三度と、下宿歴や転勤もないのに計六回の引っ越しを経験してきました。担い手の主力はおじ・おば・いとこから友人らへ移り、そして、その六度めにはついにナントカ引越センターを使ってしまいました。次回は親類縁者やら娘の友人やらに頼ってみましょうか。

 さて、ほとんど流行ることがなかったのに、時折頭に浮かぶ曲があります。30年ほど前、永六輔が作詞し自身が歌った「生きているということは」という歌(作曲中村八大)で、ありふれてはいますが詞の一部を紹介しておきます。

 生きていることは 誰かに借りをつくること
 生きて行くということは その借りを返して行くこと
 誰かに借りたら 誰かに返そう
 誰かにそうしてもらったように 誰かにそうしてあげよう

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コメント

とてもおもしろく拝見させていただきました。
子ども会に行かなくなってしばらくたちますが、
だんだん額輝氏の言わんとしていたことが理解できるようになってきた気がいたします。
めちゃくちゃラディカルなおっちゃんやなぁと思っていましたが実はあれですね、非常に、常識的で建設的なことだったんですねー。
実践していこうと思います。
更新、楽しみにしております。

投稿: 松林岳a.k.a貧徒 | 2008.02.04 11:22

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