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2007.11.15

プロ司会者

 披露宴で私が初めてプロの司会者に遭遇したのは、高校時代からの友人の結婚式です。プロと言っても司会業で食べている人ではなく、新郎の父君が某国公共放送局のアナウンサーだったために、ブラウン管を通して(という表現もじきに死語となろう)全国に顔を知られたNアナに頼んだ次第でした。
 出し物があまりなくて少しさみしかったその宴を一気に盛り上げようと、後半にN氏は短い豪快な芸をしました。普通、司会者が芸をするのは御法度でしょうが、さすがプロフェッショナルだと感心させられたのを覚えています。
 ちなみに、私のほど近い席には、今も「その時歴史が動いた」などで活躍する松平定知アナが座っていました。何を隠そう、ギター上手で知られた新郎に初めてギターを教えたのは、高知放送局で駆け出しの若かりし松平アナだったのです。最近でこそ認知されるようになりましたが、新郎はかねてマ「ツダ」イラではなく、「」ツダイラであることをしきりに強調していました。
 プロの司会者が進める披露宴に招待された二度めは、中学・高校の同級生(中高一貫制ではなく、どちらも公立校)の結婚時でした。彼が某民放局の社会部記者をしていたため、これまた全国に顔を知られた女性Hアナが司会台に立ったのです。当然ながら新郎と同じ会社で一緒に仕事をしていたため、決して他人に頼んだ雰囲気を感じさせませんでした。
 それから二十余年。時折、式場契約のいわゆるプロ司会者の披露宴に出ることはありましたが、自身の例を含め大半のカップルは当然のようにどちらかもしくは両人共通の友人に司会を委ねていました。決して喋りが得意でない私でも頼まれて引き受けたことが二、三十代の時に4回あり、そのたびに満足感を得たものでした。
 ところが、最近は司会を「プロに頼むのが普通」になっているらしく、ここ数年の間に私が招待された結婚披露宴では一度を除きすべてが、プロ司会者によるものでした。それが、ちっとも面白くない。披露宴ならではの盛り上がりに欠けるのです。例外の一度は、新郎の同僚で、かつて私もスキー旅行にご一緒したことのあるY氏がマイクを握りました。優れた司会術で、稀に見る素晴らしい宴でした。
 式場側はプロを使ってもらえば売り上げが増し、日当に上乗せした純益を簡単に得られる訳ですから、新郎新婦に勧めることがあるでしょう。若い二人がプロ進行の披露宴にしか出たことがないと、自分たちもそうするのが当たり前だと思って、エスカレートしているとも考えられます。
 しかし、そつ無くこなし、喋りがうまかったとしても、雇ったプロはしょせん他人。友人ならではの即興エピソードを交えたり、実感のある話が出てきたりするはずもありません。司会が友人ならば、列席者の中の知人たちが心から拍手や喝采を送って応援してくれますし、他の人々も温かい目で見てくれます。プロには厳しい視線が注がれる失敗も、素人ゆえのご愛嬌で宴に味を与えてくれることだってあるでしょう。先月出席した披露宴では、プロにしか見えない司会者が「新郎新婦の『友人』の某です」と、見え見えの自己紹介。それが暗黙の了解だとしても、白々とした思いを抱いたのは私だけではなかったはずです。
 さて、娘や息子でもない他人の結婚披露宴がどうだろうと、どうでも良いと言えばその通りです。が、気がかりなのは、宴が盛り上がりに欠けるからではなく、プロ司会者起用の動機です。
 なぜ、プロに頼むのかを若者に尋ねると、決まって「(依頼先に)悪いから」と答えます。料理もろくに食べられないし、準備に時間を取らせるから、と。
 すると私は「じゃあ、あなたは一体何のために生きてるの?」と問いを重ねたくなるのを抑えねばなりません。そりゃぁおいしいご馳走に舌鼓を打ったりビール片手に好きなDVDを観たり、給料が上がったりお好みアーティストのプレミアチケットを手に入れたりするのも嬉しいだろうけど、友だちの幸せに一役買い時間を費やす方がずっと大きな喜びを得られるんじゃないの?
 彼らが何より相手の負担を思いやる理由の一つには、友のために自分の力を発揮することがどれほどの喜びになるかをあまり経験できない、友人関係の変化を挙げられます。そして、もしも自分が友だちから司会の適任だと白羽の矢を立てられたら、それが実際に迷惑の範疇に入ると想像する(あるいは無意識に感じる)のではないでしょうか。
 司会をやれば、お開きの後に、旧知でない招待客の数人から必ず労いや(お世辞でも)お褒めの言葉をかけられ、まさに貢献感に浸ります。その満足はご馳走をはるかに凌ぐものです。
 自分が誰かの役に立つほど嬉しいことは、(家族の誕生や成長を除けば)他に無いと言い切れるほどの経験を、子どもたちに積ませてやりたいと願いますし、それがすなわち「自己肯定感」を育むことだと思います。

話は「引っ越し」につなげます。

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コメント

更新が遅れ申し訳ありません。その分、たくさん書きました。どうぞ、お見捨てなきよう、ご愛読をお願いいたします。

投稿: でこぴん | 2007.11.15 10:53

名前を改めます。投稿が少ないのは、一番最初のレスポンスが、本名でないとだめかと誤解を与えたかもしれないと思ったからです。今さらですが、変えさせてください。もっと気楽にいろいろな方がレスしてくださることを願って・・・。

結婚式のコラムは、結構反発している人もいるのではないか、と想像したりしていました。親への手紙はそれだけ一般化しているようですし、何でそんなことに水を差すの?と思っている方も多いのではないでしょうか?また忙しい現代人に、いろいろと頼むだけで疲れてしまうのも事実です。ならばプロにまかせたほうが・・という方は多いと思います。参考になるかわかりませんが、私のケースはその真逆でしたのでご紹介します。

私が結婚した10数年前はまだバブルの名残りがあり、ドライアイスがもくもくする中を、ゴンドラに乗った花嫁が登場するシーンもありました。しかし私の場合は、派手さはありませんが、手作りでとにかく楽しい会になりました。友人の中で最も早い結婚だったこともあり、みんな金はないが酒を飲む時間はある人ばかり。それで「結婚式」から「披露宴」らしきものまで、ほとんど全て友人が企画、運営をやってくれました。司会はもちろん、音響、照明、演劇、パンフなどなど、どれほど多くの方の手を煩わせたことでしょう。そのおかげで披露宴は200人くらいの人数に膨れ上がりました。酒が足りなくなって、途中で友人が買いに走ってくれたのもいい思い出です。

若かったので、みんなすばらしいノリで協力してくれました。今だにそのご恩をお返ししていないと反省していますが。あまりにいろいろなことをやってくれるので、心配した両親からせめて経費分くらいお返ししたら・・・とアドバイスがありました。それで感謝の言葉を添えていくらかの気持ちを宴会後に渡したのですが、最後まで受け取ってもらえなかった人も多く、かえってそんなことするもんじゃない、と怒られる方もいました。今でもあの時、どうしていたらよかったのか、結論は出ていません。人の好意に甘えているだけで、本当に大人の仲間入りができるのか、といった自問がありました。でもせっかく二人のためにやってくれている友人たちにかえって他人行儀ではないのか・・・と。当時の友人たちとは今だに一生の付き合いが続いています。お金を受け取ってくれた人とも、受け取らなかった人とも。

あれほどの催しを企画してくれる友人に恵まれたことは、とても幸せなことだったと思います。あえて頭を下げて大勢の方の力を借りたことで、この人たちを裏切るような人生は送れないと、その時ばかりは神妙に考えたものです。それがやっと大人の入り口に立った時だったように思います。そして今の自分はそんなに大人も悪くないな、と思えるのです。

投稿: 西野陽子改めまかさの母 | 2007.12.09 00:13

まさかの母さん、コメントというより実質一回分の楽しいコラムを、ありがとうございました。
お返事が大変遅くなりました失礼をお詫びいたします。
> もっと気楽にいろいろな方がレスして
なるほど、ブログというものを私がきちんと理解していませんでした。読者の方が加わることですぐにもこんなに豊かになるものですね。私ももっと気楽に書かないといけませんね。
> 結構反発している人も
そう思います。リーダーサイトに同じようなことを書いていますが、反応がほとんどありませんし。
それにしても200人とはすごいですね。ご承知かとも思いますが昨冬ベテランリーダー同士の祝賀会でしぶき荘の職員や列席者の子どもも入れて180人というのを目の当たりにして「子ども会的ノリ」でこなすことはできましたが、生身の大人があれ以上集うとは。以前、沖縄の結婚式は会費も安くて誰でも呼んで3~400人集うと聞いたことはありますし、いろいろあって面白いのでしょう。
若い時のことを思い出すのに、ただ「懐かしい」ではなく、歳をとってきて若さを失っている自分を省みることが大事だなと改めて思いました。酒が足りなくなっても誰も買いに走りに行かず、ぼつぼつ開くかそのまましゃべってるか。腰が重くちゃいけませんね。いや、足りなくならないだけ用意するのが大人か……。
「この人たちを裏切るような人生は送れない」
そう思えた経験は、本当にかけがえのないことだと思います。

投稿: でこぴん | 2007.12.20 23:39

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