2017.05.01

「生きづらさ」打破の力は、自由な異年齢集団の生活から

「第43回夏の子ども会」参加者募集に際しまして

 日本の青少年の自己肯定観や将来への希望が、世界でも際立って低いことは、内閣府の国際比較調査で端的に示されました※。親は我が子のためと思いつつも幼少期から過干渉を続け、失敗を許さず、全ての子どもが本来持っている力を無自覚にいつまでも奪ってしまいがちなことが、その主因の一つではないかと私は考えています。

 「子どもはいろいろな友だちや生き物と遊び戯れながら、喧嘩しぶつかりながら、人としての優しさや、思い切って意見を言う勢いや、ぐっと我慢する強さなど、さまざまなことを学んで自分のものにしていく。 そのためには、なにより友だちとの時間が必要なのだ。」桜井智恵子著『子どもの声を社会へ』より

 親御さんご自身にも同様の体験があると思います。あっと言う間に大きくなる前に、
家庭や学校以外の場をお子さんにお与えください。ご参加をお待ち申し上げます。

※内閣府「今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html

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2016.06.07

【映画紹介】 『風は生きよという』

呼吸器から吹く風に乗り、つながりあう人と人との物語

 今から約30年前、アルプス子ども会に初めて車椅子で参加した「ひーちゃん」という女の子がいました。進行性筋萎縮症で、乳児期には寿命は3歳までと言われながら成長し、小学校低学年で親御さんから「夏の子ども会」参加の相談があった時は、二十歳まで生きられるかどうかと伝えられました。
 この映画は、39歳となった彼女を中心とする数名の障害者の生活と周囲を描いたドキュメンタリーです。昨秋来、全国各地で自主上映されて反響を呼び、大手メディアでも取り上げられて、いよいよ7月に東京・渋谷で劇場公開されます。
 高校を卒業するまで普通学級に通い、大学では24時間の介助を受けながらも自立生活を送っていた彼女は、就職できないという現実に襲われます。そこで、もがきながらも、自分が生きる意味を厳しく鋭く問い、その解を障害者の人権啓発や社会制度の整備に努めることに見出しました。そのために、困難があろうと重度障害者が社会に出て、人目にさらされることを実践します。
 彼女は母親から、①誰かのせいにしない ②兄弟を頼らない ③本気でやる の三つのことを叩き込まれて育ったそうです。自分が手伝ってもらえないのは、その必要性を誰かにしっかり伝えられないから等、「常に自分の態度に向き合わされる毎日」だったとか。唯一、他者のせいにできるのは「生きにくいのは社会の在り方が悪いからだ」ということ。「だから障害を引け目に思うことはない、他の子らと同じものを望んでいいのだ」、と言い続けられたのでした。
 上映後の監督とのトークイベントで、主人公・海老原宏美さんは「屋久島や富士山は元々は単なる島や山だけれど、人が(世界遺産という)価値を高めていくもの。障害者も同じ」と話されました。それを聞いた私には二つの思いが浮かびました。一つは、人命は地球よりも重いと言われながら障害者は屋久島や富士山よりも軽く扱われがちなこと、そして、人は屋久島や富士山の山中にいるだけでは、その価値を理解できないであろうことです。そんな状況をふまえての発言だと想像しますが、決して大上段から構えるのではなく、ゆったりと、柔軟に考え、行動する彼女の姿勢に感服しました。
 障害とは何か、内なる差別とは何かを改めて考えさせられるだけでなく、子育てや社会のあるべき姿についても教えられる作品ですので、ぜひ機会を作ってご覧くださればと願います。

動けなくなることで、見えてきたもの
風は生きよという』 宍戸大裕監督作品
最新上映情報はウェブサイト

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2015.11.19

仲間の輪で育ち合う子どもたち

「'16 冬の子ども会」募集によせて

 たまたま私が通りかかった夏の場面でした。男子二人がつかみ合いになりそうになっているのを周囲の数名が「やめろ、やめろっ!」と必死に止めているのです。聞けば、直接のきっかけはささいなことで、伏線として前から何度もいやな行為をされても耐えていた子が爆発したということでした。そこまではキャンプの中では、男児にままある光景と言えばそうですし、我慢をやめたのも進歩ではありますが、周りの説得の質が高いのです。抱えられて目には涙、黙ったままの二人に対して、「お前の気持ちは解るよ」「殴ったって解決にならない」「これだけいやな思いをさせていたんだよ」「やられた気持ちはお前が知ってるだろう?」……。
 そして、一番懸命にあたっていたA君は「そんなに気が済まないなら、俺を殴れ」と繰り返したのでした。実は、A君は自身が元々トラブル源で、低学年生の頃は周囲が困っていたのですが、そんな彼がこんなことを言えるようになるとは、私は耳を疑いつつ深い感慨を覚えました。今時ケンカを止めることはしても、大人でさえ「仲裁」できる人は減っていると思われるのに、彼らは子ども会の参加を重ねる中で、さまざまな経験の上にこんな力をつけていたのです。
 単に年齢が増しただけでは、心に届く言葉がすぐに出てくるようになるとは思えません。家族や教師との関係とは全く異なる、非日常の仲間の輪が、潜在力を引き出してくれるのでしょう。

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2015.08.14

時を越え、勇気をくれるうた

 長野県駒ヶ根市を舞台に1975年から活動しているアルプス子ども会は、民営キャンプ団体の草分けで、これまでに日本全国や海外から延べ約11万名の子どもたちが参加してきました。その大きな特色の一つに、行事や環境と密接に結びついたオリジナルソングの存在が挙げられます。
 幼児から社会人までのメンバーは集合してから解散するまで、一日を見れば朝の集いから就寝前のプログラムまで、うたと共に生活を展開すると言っても過言ではありません。40年間に創られてきた曲数は100以上、他団体に広がった『地球のまん中』は1982年夏のテーマソングでした。その内80曲くらいは今も歌い継がれ、毎年新曲が発表されています。現在までカセットテープ5巻とCD4枚を作って計数千本を頒布、公式ウェブサイトには「ネット歌集」を設けました。バリエーションも豊かで、直前のフレーズを繰り返す「後付きうた」や楽しい踊りとセットになった「振り付きうた」、フォーク調、ニューミュージック調、Jポップ調に沖縄民謡調まであります(演歌調は未だ無い)。
 そうして、普段家では歌うことなど全く無い子どもたちまでもが、帰宅後に歌い踊りまくって、親が驚かされるといった話を毎年のように耳にします。それはなぜなのでしょうか。
 一つは、歌詞の内容がまさに自らの体験に根差していることです。親と離れて頑張った自負、新しい友達ができた喜び、力を合わせて困難を克服した達成感、仲間と別れる悲しさなどなど、心を揺るがせた経験をメロディーに乗せることで、さらには同じ時間と空間を過ごした仲間と一緒に奏でることで深い一体感を伴いながら、「いつもと違う特別な日々」が一層強化されます。
 そして、日常の暮らしの中で、特にいやなことやつらいことに遭遇した際、あるいは壁に直面した時に、それらが思い出されます。そうです、勇気・元気・やる気、少し大げさに聞こえるかも知れませんが、難局を打ち破る力を与えてくれさえするのです。
『ゆうやけ』(作・広越たかし)といううたの中に
 ♪赤く 赤く 君のほほをそめて
 赤く 赤く 炎はもえあがる
 明日は見知らぬ 自分と出会う
 今日に告げる さよならをもやして
という歌詞があるのですが、キャンプから何年も経ったある日、部活の試合に敗れてふと口をついて出た瞬間に、四番まである曲の核心がこの三番にあったのかと、気づくことだってある訳です。
 さて、家で子どもたちが聞かせたうたは家族に広がり、親や弟妹にも伝わります。やがて子は親となり、自らの子を参加させて一緒に同じうたを歌うと、世代を越えて思いがけず生じる「体験の共有」。白い雲が浮かぶ空の青や森の濃緑、他の子やリーダーたちとのやり取り、キャンプファイヤーや川遊びの興奮、初めて目にした生き物への驚き……思い出はうたと共に鮮やかに蘇ります。今の子にとっては父母を参加させた祖父母から三代が声を合わせることもあるでしょう。
 長く多く歌い継がれるのは、やはり洗練された歌詞とメロディーの曲で、歌う時間を盛り上げるにはそれなりの仕掛けが必要です。歌詞コールや歌詞幕はもちろん、ギターやアコーディオン伴奏、リズム楽器の他に、みんなの心をまとめる手拍子が大変重要になります。抑揚をつけることも忘れずに。
 今後の課題としては、音楽教育の衰退とも強い関係があると考えますが、アップテンポのものばかりが好まれ、静かでゆったりとした曲がなかなか受け入れられないこと、ハーモニーが総じて下手になっていることを掲げておきます。
 これからも大勢で歌う時間を大切にして、キャンプソングを楽しみ続けましょう。
(日本キャンプ協会機関誌『CAMPING』特集「キャンプとうた」依頼稿)
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2014.11.20

「対人コミュニケーション能力」 は 不都合な人に向き合うことでこそ育まれる

「'15 冬の子ども会」募集によせて

 大手旅行会社の30歳の社員が、自らのバスの手配ミスを隠すために、遠足を中止させようと生徒を装い学校を脅す手紙を学校に送った事件は、記憶に新しいことでしょう。これは稀な例かも知れませんが、誰かに助けを求めたり他人を信頼したりすることが非常に苦手な人には、必ずそうなった理由や環境があるはずです。
 また、大学の厳しい体育会を経て来た人が会社で力を発揮できず、すぐに辞めてしまう話などもよく耳にします。それは結局、上の人に従い、下の人には指示をしていれば済む生活ばかりを送ってきた、言わば当然の帰結なのではないでしょうか。
 就職活動を始める段になって「対人コミュニケーション能力」を求められても、急に身につくはずもありません。それはすなわち、積み重ねてきた「自分にとって不都合な人や事態に向き合う力」と言い換えることもできるからです。上下関係の中で同質の人とばかり接していると、そうした力をつける機会はなかなか得られないと思われます。
 小さい頃からいろいろな子ども──迷惑な子も、面倒な子もいて、そんな子でも当たり前のように持っている優しさや意外な側面に気づき、触れることができる対等な関係の中で、のびのびと遊ばせたいものです。

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