2011.10.25

食品その他の安全保持につきまして

 平素は当会の活動にご賛同、ご支援をくださいまして、誠にありがとうございます。さまざまな不安や閉塞感が漂う中、ご参加くださる皆様に深く感謝いたしますと共に、被災された皆様、災禍により生活に混乱が生じている大勢の方のご困難を、改めてお見舞い申し上げます。
 さて、夏休みの初めに、会公式サイトの掲示板『蓼食う虫も』にて「食の安全」についてのやり取りがありました。会期中だったためご心配への回答を十分にお伝えできませんでしたので、「冬の子ども会」開催を機に、私どもの方針や事情を再度お伝えします。

放射線の影響に限らず、子どもたちが口にするものについては、常に新鮮で安全なものを使えるように心がけています。できるだけ地元産のものを使ったり、食物アレルギーのあるお子さんへの配慮をしたり、食中毒の徹底対策を行ったりしています。具体的には、この夏、水菜を除くすべての野菜・米は長野県産品を使用しました(冬~春の期間は県外産も用いざるを得ません)。また、牛肉は一切使いませんでした。ただし、それらを事前にお知らせすることは、子どもたちが体験した内容を先に親が知ることにつながり「お土産話」を台無しにする恐れがあるため、電話で直接お問い合せのあった方に限りいたしました。掲示板での告知については今後のご意見を待ち、是非を再検討したいと存じます。
②放射線の影響については、少しでも被曝したものを絶対に使わないとは申せませんし、子どもたちの口に入る前に食材を全部チェックすることも、現実に行うことができません。それでも、日本の食品は極めて安全管理基準が厳しく、検査は概ね遵守されていると見ております。したがって、現在問題なく流通している物は一般に安全であるとの前提で、献立や仕入れを一層注意深く検討いたします。
③特に冬期においては、これまでのインフルエンザやノロウィルスへの対処経験から、手洗いや「咳エチケット」その他の感染防止策を徹底するなど、健康の確保を第一に、あらゆる場面で入念に対応します。

 ご心配を抱かれるのは至極ごもっともだと存じますし、不安や不信が渦巻くこのような時こそ、私どもの真価が問われることを真摯に受け止めています。
 これからも、「一人の例外もなく大切にされる」会を実現するために、子どもたち、そしてお子さんをお預けくださる保護者の視点に立ちながら、言葉だけでは得にくいご信頼をいただけるように、具体的な行動で努力を重ねる所存です。

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2010.09.09

子どもというもの  「第36回夏」閉幕に際して

 今年も「夏の子ども会」を終えました。41日間に子どもとリーダーが合わせて延べ約2,800名も参加しているため、毎日の生活の中にはさまざまなドラマがあり、とてもすべてが順調という訳には行きませんので、私の立場からはまさに「ようやく」終了することができたというのが毎年の実感です。
 駒ヶ根でも例年になく暑い日が最後まで続き、夕立や夜間の降雨はよくありましたが、テントキャンプと川あそびが中止になった組も体育館を使った組も全日程を通じて一つも無く、唯一ぬかるんだグラウンドを避けてD組(15日間コース)で市の全天候ドームを借りたのみ。川あそびに使う太田切川もちょうど良い水量が続き、大変天候に恵まれた夏だったと言えます。
 最終組が解散する8月30日、「せせらぎ村」10組の子どもが、帰りのバスに乗る前にキャンプノートの裏表紙に書き込んだ同じ班の子らの名を見ていて、そこに多分同じ班だと思われる子らが顔を寄せ合って何やら話していました。きっとこの五日間の出来事を一緒に確認していたのでしょう。その姿をカメラのファインダーに見つけた時、私はオリジナルソング「しあわせのカケラたち」を目の当たりにしたようでした。
 さて、この期間中に「小学生が初めて700万人を切った」という報道がありました。子どもの減少に伴い、当然ながら子どもという(生き)物を知らない大人が増えている訳で、例えば、実は子どもは想像以上に手がかかるものなのだとか、同時に、子どもだけでもできることはもっと沢山あるのだとかいったことが社会に理解されにくくなっている状況にあります。「子どもが児童公園で遊んでいてうるさい」と苦情が出たり、「おねしょをする子をキャンプに参加させて大丈夫か」と質問が寄せられたり、どちらも従来は誰もが許容していたことなのに、当然でないことになってきました。あるいは、親が何にでも手や口を出してしまいがちだったり、幼子の髪を染め流行を追った服で着せ飾ったりすることなども、大人が年齢相応の「子どもというもの」を理解していない表れでしょう。
 子どもにとっては大変な「生きづらさ」のはびこるそんな社会の中で、逆に私たちは会の活動を通して改めて子ども集団のもつ力に驚き、もっと彼らの役割をあてにする大切さを学んでいます。これまで「一人の例外もなく支え、守り合う関係」づくりをめざして、誰もが「ぼくがいるから君が楽しい」ということを実感できるような働きかけを心がけてきましたが、これからは子どもたちだけでなく、世の中の大人に対して「子どもというもの」を広報して行かねばならないと、思いを新たにしています。
 昨今、誰かに何かを委ねたり、任せたりすることが苦手になっている風潮が強まっていると感じますが、そのような中で、私どもをご信頼のうえお子さんをお預けくださいましたことに、改めて心より感謝いたし、終了のご挨拶とさせていただきます。

追伸 夏のアンケートで本欄へのご意見、激励等のメッセージをいくつもいただきました。確実に執筆意欲が増します。ありがとうございました。

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2010.08.29

「心臓より高く」は間違い

 野外活動はふだん扱わない物に触れたり慣れないことをしたりするため、日常生活に比べてどうしてもけがをしやすいものです。それでも、命に関わる事故や身体機能に影響を及ぼすような大けがを避ける感覚と技術を身につけるために、また、克服体験を得るという点においても、ある程度の「けが経験」は意味のあることです。だからこそ、こうしたキャンプに子どもを参加させている方も少なくないと思います。
 他方、危機管理で有名なハインリッヒの法則を引くまでもなく、野外活動の指導者には些細なけがでも根絶する努力が求められます。小さなけがを仕方ないものとして放置していれば必ず中程度の事故が起き、やがては大事故につながりかねません。前述のように「子どもには多少のけがは必要だ」と考えてそれを放置してる人は、いつかとんでもないけがを招く恐れがあり、指導者としてふさわしくありません。
 無論、けが根絶のためだからと何でも「危ないから」と言って禁止していたら活動の意義が損なわれます。ともすれば経験が浅いリーダーほど危険回避のために子どもの「やってみたい」欲求を抑制しがちですから、私たちは常に「『危険度の高い遊び』と『安全』を両立させる意識」を持っていなければなりません。
 そうした活動の中で、大勢の中では残念ながらけがをする子を出してしまいますが、長年経験してきたさまざまな事象はけがの予防や現場に即した応急処置への大きな蓄積になっています。特に、世間一般に信じられている「常識」に疑問を持ったり、応急処置関連書籍の中にも明らかな誤りを見つけたりすることが少なくありません。
 例えば、指先を切ったときなどによく「心臓より高く上げる」と聞きますが、これは実際には意味をなしません。確かに、手をだらんと下げているよりは心臓より上にした方が出血量は少なく済むでしょう。しかし、「心臓より高く」と聞けば普通は肩口くらいまでに上げれば良いと認識される訳で、それだとほとんどの切り傷の場合に出血します。ところが、指先を上げられるだけ最も高い位置に掲げるだけで、相当深く切った場合でもすぐに血は止まります。いえ、切った直後に掲げれば嘘のように全く出血しないこともままあります。なぜでしょうか。そこは血圧=血液を押し出す力が極めて低くなるからです。実際に私も中指の先から3mmほどのところを径の半分以上ざっくりと切ってしまい、もうだめ=指先を失うかと思いましたが、血は1滴出ただけで縫うこともなく治りました。同様例は多々あり、出血を抑えることは早い治癒のためにも重要です。
 野外活動での切り傷の大半は指に負います。だからこそ、「心臓より高く」ではなく、「頭上高く」であるべきなのです。
 他にも、教科書的には「よく手入れをしていない刃物はけがをしやすい」と述べた本を見かけますが、炊事を多くする方ならご存じの通り、現実にはよく研いだ切れ味鋭い包丁ほど指に少し当たっただけで切り傷を創るなどということがあります。
 ちなみに、スタッフの桜井某はかつて指をかなり深く切った際、即座に頭上いっぱいに挙手し、その格好のままで病院に行き、診察室で看護婦に「もう下ろしても良いですねー」と笑われたとか。

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2010.08.09

お家に帰りたい

 親から離れ遠くまでやって来て、そのうえ何日も寝泊まりすることになる小さな子どもたちが夜、暗くなると淋しくなって家が恋しくなるのは当然です。幼児や低学年生が皆ホームシックにかからずにいられるはずがありません。
 それでも、小さい子は直截「おかあさんにあいたいー」「おうちにかえりたいー」と泣いてくれるので対処は比較的容易ですが、慣れないリーダーが惑わされるのは、泣かないまでも身体の不調を訴えられた時です。もしもホームシックだとしたら、保健室に連れて保健担当のリーダーが対応すべきではなく、班のリーダーがもっと関わらねばなりません。しかし、そうでないとしたら、特に頭痛の場合は注意深い観察が必要になります。
 そこで、大切なのが見分け方、診断法です。
1)涙目である……涙が出るほど痛いのであれば、普通に立ってはいられません。屈曲姿勢を取り苦しむはずです。こんな時は「お家に帰りたくなっちゃったの?」「お母さんに会いたいの?」と訊いて問題を顕在化させます。もし答えがノーならば、他の不調を疑うこともできます。
2)痛い部位が移る……「おなかがいたいの」「どれどれ、あー、この辺りか、よーしよし」とお腹をさすり「これでもう大丈夫でしょ?」そうして頷き、部屋に戻ります。が、しかし数分後、今度は背中が痛いとか、時には足の裏が痛いとか耳の縁が痛いとか、ありとあらゆる所が痛くなります。これは子どもが嘘をついている訳ではなく、本当に痛むのだと思います。すなわち、心が痛いのです。
 これらが見られれば、ひとまずホームシックと判断しますが、最近では、不安や興奮のあまり血中のガス濃度バランスを崩して、俗に「過呼吸」などと呼ばれる「過換気症候群」を発症する子もいます。
 次に、対処法についてですが、私はここにアルプス子ども会長年の蓄積が表れていると自負しています。
 一般にホームシック対処と言うと、「明日は○○をやるし、△△もあるし、こーんなに楽しいことが待っているよ」とか、「班のみんなが心配しているよ」とかの言葉がけをしてしまいがちです。実際に、他団体のキャンプ活動にも関わっていた人はそのように教わったそうです。
 しかし、それはまさに「子ども騙し」であり、子どもの立場になれば「そんなの関係ねー」のです。
 「ママ(往々にして「マ」に濁点をつけた「マ〝」のような声)に会いたいー(ナミダ、嗚呼また涙)」という子に対して、「そうかぁ、お母さんの名まえは?」「う、う、……ゆみこ」「ふーん、やさしいの?」「どんな髪型なの?」などと会話を紡ぎ、お家のこと、兄弟姉妹のこと、ペットのことなどなど、いろいろな話をして、気持ちをお家に帰してやることこそが肝要なのです。そうしてやっと、自分で納得し落ち着いて眠りにつくことができます。
 ホームシックの最中は、土台、家族を忘れさせようなんてできる訳がないのです。家のことを思い出させまい、親の顔を浮かばせまいとやっては逆効果で、泣き寝入りを迫ることになれば、翌日も再発を免れません。
 夏の長丁場、娘が小さかった頃は私も都会の自宅に帰りたくなる時がありましたが、今では、子ども会を終えた後もずっと、残暑と無縁の駒ヶ根に留まっていたいばかりです。

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2010.08.03

行きたくない

 「夏の子ども会」の集合時、出発式を終えてバスに乗り込む際に親と離れるのが嫌で「行きたくないー」「ヤダー」と泣きじゃくり(あるいは泣きわめき)、時に暴れて乗車を拒む子が時折います。いずれのケースでも共通しているのは、心配する親心が子どもに伝わっていて、子どもも甘えたい一心でそうした行動に出てしまうことです。
 リーダーは例外なくバス乗車口にいる保護者の参加意思を確認したうえで、無理矢理親から子を引きはがし、抱きかかえてバスに乗り込むことになります。こればかりは見送りの衆人環視の中で相当はばかられる行為なのですが、ひとたび大人がひるもうものなら子どもが親の服を掴む力は増し、さらに発車が遅れてしまうため、「とにかくお母さん、早く姿を消してください」とやや叫びに近い声を出しつつ心を鬼にして、力ずくでバスに担ぎ込みます。
 事情を知らない人がその光景を見かけたら児童虐待ではないかと思われるでしょうし、知っていても「子どもの権利を尊重」と標榜する会があんな乱暴なことをして良いのかといった疑問が寄せられることは実際にあります。
 それでも、私たちが嫌がる子どもを無理にでも連れて行くのは
1)その子はあまり乗り気でなくても自分の意思でそこまで来ていること
2)親の顔が見える限り甘えて駄々をこねたいだけであること
そして、何より
3)出発すれば早い時はものの3分、どんなに遅くとも15分で子どもは立ち直り、バスレクに興じて楽しんでくれること
などの理由によります。出発して、もう親がいないのに泣き続けていたら、それがあほらしいことくらい、幼子にも解ることです。
 だから、連れて行くことこそが子どもの「遊ぶ権利」を保障することなのです。親が前から「きっと楽しいよ」と言い、決めてあった参加を、もしも土壇場でひっくり返したら、それから先、親の言うことの信用はがた落ちです。
 ですから、参加が難しいなと思ったらもう少し前にキャンセルするか、集合地で受付を済ませたのなら、早く姿を消すことです。決してバスには近づかずに陰からそっと見送ってください。保育園などの入園当初と同じで、親がいなければ子は諦め、自分にとってその時点でより良い行動に出ます。
 さて、車中立ち直った子らも、また出発時から何ともなかった子も、夜寝る段になると淋しくなってお家に帰りたくなります。次回はこのホームシックについて書きます。

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